くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

「宇宙よりも遠い場所」で本当の友達と夢を見つけよう


NY timesで話題になっていました「宇宙よりも遠い場所」というアニメ。アマプラで無料になっていましたので、ちょっと見てみました。
しかしね~~~~、よかったよこのアニメ。まじでよかったよ。

 

宇宙よりも遠い場所」略して「よりもい」は、可愛い女の子がたむろす日常系アニメに見えて、実際は女子高生が南極を目指す物語です。ただ南極に行くのではなく、女子高生にとって最大の壁となる「どうしたら南極に行けるのか」というやや強引な手順が13話中の半分ほどを割いて説明されており、そのうえで南極までの道のりや南極での体験を描いています。丁寧な描写とクオリティの高い絵が本当に素敵で、画面にもストーリーにも引き込まれてしまいました。

登場人物は4人、キマリ、しらせ、日向、ゆづ。どこかへ行きたいという漠然とした思いを抱えていたキマリ、友達関係のこじれで高校を辞めた日向、友達がいないゆづ、お母さんを追いかけ続けるしらせが、南極へ行く過程で友情を深め、悩み、それぞれの思いをぶつけ合っていくお話。正直「ラブライブ」と似ている気がしたのですが、ラブライブはアイドルというコンテンツも重視した構成で長く一人にクローズアップする過程が少なかったのに対し、このアニメは日向の過去については終盤までノータッチだし、ゆづももやもやを抱え続けているし、しらせは最後の最後まで迷いを抱えていました。それぞれの過去から派生する悩みや葛藤をしっかり描いているのはこのアニメだと思います。

☆重い罪と傷
好きな話も、共感した話もたくさんありました。「涙が出た」という感想もネット上ではたくさんありましたし、わたしも12話ではうるっとしてしまいました。
とくに女子高生や女子中学生にとって共感できるポイントになるのは、日向じゃないかな。日向は陸上部に所属していた際、先輩に配慮しなかったという理由で孤立し、結果的に学校もやめてしまいました。当初は部活を辞めるだけだったけど、同期で背中を押してくれていたはずの友人に噂を流されたことも堪えたんだろうね。そしてそんな友人が、南極に行った日向の友人代表としてビデオメッセージに出演し、「謝りたい」「友達が南極に行ったことが自慢」なんて言い出した。
日向はすでに学校をやめています。高卒認定資格があって志望大学A判定でも、彼女が失ったものはもうすでに取り返しがつかないくらい大きく、彼女の人生に暗い影を落とすであろうものです。だって考えてみてほしい。16歳から18歳、10代後半という素晴らしい夢にあふれた年齢で、きちんと学校に通っていれば、ちゃんと友達がいれば、高校という場所、高校生という身分でしか作れない思い出もあったと思うんですよね。高校という場所が、高校生という身分がどれほど特別なものなのか、大学生であるわたしはよく知ってます。本来であれば自分に拓けていた可能性も、みんながあたりまえに経験できたことも、高校を辞めてしまった日向は何もできない。他人の、おそらく「ちょっとした行動」のせいで、日向は諦めなければならないことができてしまった。そんな中で「謝りたい」なんて言われても、「それで許されたとスッキリするつもり??自分の罪をなかったことにするつもり??」ってやつ。日向が失ったものと、彼女の友人が背負うものの釣り合いが取れないんだよね。そしてそのうえで「友達」って名乗り、「あなたはわたしたちの自慢」とか言うわけ。怒って良いでしょ。
実際ここまでこじれて学校をやめる子は少ないと思いますが、友人関係のもつれやいじめは通常の女子高生や中学生、小学校高学年あたりには多いと思いますし、それによって傷つきながら踏ん張って学校に通ったり、時には登校拒否したり、10代の世界は非常にデリケートです。こうした経験がトラウマのひとつとして生涯抱える苦しみになることもかなり多いんじゃないでしょうか。わたし自身も小学生時代にいじめに遭ったことがあり、それ以来自分に自信がなくなる時期が続き、積極的に物事に取り組める性格もがらりと一変してしまいました。当時の記憶は今でも尾を引き、就職活動をするうえでも重大な障害となっています。それほどまでに、友人関係のこじれやいじめというものは被害者の人生に暗い影となってしまうのに、いじめっ子や加害者は、そうなってしまった被害者について責任を負いません。だって、そこまで悪いことをしたという自覚はないから。「悪いことをした」という自覚があったとしても、日向の友達みたいに、「謝れば許してもらえる」程度だって認識だから。アニメはこうした被害者と加害者の認識の差をうまく描いていると思いました。
わたしが悔しく悲しい思いをしたあのときのことを、もうとっくのとうに記憶のかなたに行ってしまった彼女たちはきっともう覚えていません。謝ることもしませんでした。わたしはもう過去のことで、互いに小学生という未熟な時期だったから気にしないけれど、本来であれば末代まで呪ってもいいはずでした。気にしないといっても、当時のことをふと思い出せば涙が出るし、悔しくなるし、許せないという思いしかありませんがね。しかしどんな形であれ罰はくだるし罪は消えないものだと思うから、わたしはただ気にしないように生きていきます。

☆しらせの葛藤
しらせは高校生の身分で100万ためて突拍子もない行動で南極に行くという夢を果たすくらいには大物であり、周囲にバカにされても気にしないどころか「ざまーみろと言ってやる」ということから推測できるように意思も強い女の子だけれど、12話ではかなり悩んだ様子が見られます。3年前に母が南極で行方不明になり、死亡したと推定されました。遺体はもちろんないし遺品もほとんど(というかおそらく全く)ないという状態です。なぜしらせが南極を目指すかというと、2話で「お母さんが待っている」と語っていました。そこからなんとなく心中も見えていたのだけれど、12話でくっきりわかりました。
3年もお母さんにメールを送り続けていたしらせは、心の奥底で母親が死んでいることをよく理解しつつも母の死を受け入れられなかった、そういう夢から醒めないように感じているということでした。遺体はないし遺品もないからしょうがないと思います。母のいた場所に近づくことをためらったのは、夢が醒めないことを実感してしまうから怖いんだろうと。
それでも現実に向き合い、お母さんがメールを読まなかった事実を知ることで、しらせはお母さんがもう帰ってこないことを実感しました。「お母さん、お母さん」と叫びながら泣く姿は本当にこちらまで悲しくなってしまうほど切実で、3年越しのよどんだ思いがはじけるような苦しさを感じました。声優さんが非常にいい演技していたよね。お母さんが見た綺麗なオーロラを最後に見ることができて、よかったと思います。

☆友達ってなんだろう

ゆづは友達がいないことが悲しかったので、高校に通い、友達を作りました。しかしお仕事が忙しいせいで遊べず、結局LINEグループも退会されてひとりぼっち。3人の前では「今は友達がいる」と胸を張り、がんばって友達と合わせていたけれど、友達は離れて行ってしまいました。なんだか、中学生当時のことを思い出します……。
ゆづは仕事という大義名分があるんでちょっと違うと思うんですけど、女の子で友達がいない、あるいは少ないってツラいんだよねぇ。自分の趣味を共有できないとかそれ以前に、友達がいないってダサいし、寂しいし、かわいそう。そういう危機感があると思います。「キョロ充」と言われる人は大抵こういう意識が強い人です。でもわたし、そうまでして友達は欲しいかな??って思います。ゆづも、現代の小学生から高校生も、グループに入れない「ぼっち」であることに傷ついているけど、ぼっちは本当にいけないのかな、友達は無理して作るものかなって。
わたしは高校で友達ができました。なんでも話せる友達で、今も頻繁に会っています。大学が離れたからこそ「わたしのことを理解してくれるのはあなただけ」というような言葉をもらえ、わたしは彼女にとって唯一で、友達もわたしにとって唯一なのだと認識しました。そして、「この子以外の友達は必要ないや」とも思ったのです。
重松清の「きみのともだち」という小説に、「わたしはともだちが一人いればいい」というようなセリフがあるのですが、わたしも全くその通りだと大学生になって思うんです。ゆづはそもそもひとりも友達がいませんが、なら無理して作る必要はないし、一人いるなら、その人を大切にすればいい。無理に合わせる友達って疲れるし、ぼっちでいて本当に気のあう友人ができるのを待つほうが気が楽です。いろんな人と仲良くできる人ならともかく、ゆづはそういうタイプじゃないし、世の中の多くの人々もそういうタイプじゃないと思います。ゆづはどうしても遊べなくて、結果的に友達がLINEを退会してしまったけれど、それはそこまでの友達ってことだから。気にしないで、気長に待てばいいだけだとわたしは思いました。だって本当の友達だったら、ちょっと遊べないくらいでLINEグループ退会なんてしないよ。連絡をとっていなくても、離れていても信頼しあえるのが友達だと思うし、何度も書くけどそういう子が一人いればいいって心から思うんです。

☆「挑戦する」勇気
「ここではないどこかへ行きたい」「めぐっちゃん離れしなきゃ」という思いを悶々と抱えたままでいたのがキマリでした。それでも何かをしようとしたら怖くなっちゃって、失敗したらどうしようと考えて、結局何もできないのもキマリです。
「怖い」「失敗したくない」と悩むのは誰もがおんなじだと思うのです。わたしももちろんそう。失敗して後悔したくないし、それで自信をなくしちゃうのは怖い。でもそれよりも大切なのは、ちゃんと挑戦することなんだと最近気づきました。わたしの場合、失敗してそれまでの努力やお金が無駄になるのが嫌で、なかなか挑戦をしませんでした。でも案外やってみたらいけちゃうっていう経験、あるんだよ。わたしの場合南極に行くっていうほど壮大なものではないけれど、「自分には無理」「自分では力不足」というものが、結構ポンポンできる。そういう経験って大事だな、もっとちゃんとやってみるべきだったな、って思います。
しらせの熱意に乗る形でしたが、キマリはちゃんと自分の気持ちに向き合って、挑戦してみます。仮に失敗しても、キマリの自信につながる大切な一歩だったと思います。あぁ、わたしももっと挑戦しなきゃ‼‼キマリやしらせみたいに夢をもって、目標をもって、怖くても一歩踏み出さなきゃ。そういう心の大切さを改めてかみしめました。

☆まとめ・夢の話
「女子高生が南極に行く」という壮大な夢をのせたアニメ。個人的には「夢を見ること」を学んだと思います。「不可能でも夢をもつ」「不可能でも実行してみる」そうした姿勢がきっと夢に繋がり、未来を切り拓くことを知りました。
就職活動真っただ中、将来に不安をもつわたし。「やりたいことはなんなの??」「夢はなんなの??」と毎日のように問われ続け、あるいは自ら問い続け、精神的にも疲弊していました。夢を持ってもわたしが求められていないと知るのがとても怖い。かなわないものに一所懸命になるのが怖い。失敗は怖いし、無駄な努力となって水泡に帰すのが怖い。怖いものだらけで、もう夢なんて持てないのが今のわたしです。
でももしかしたら、ひょっとしたら叶うのかもしれない。そんな可能性を見せつけてくれたアニメでした。不可能でも挑戦してみなければわからないから、とりあえず目指してみよう。とにかくはっきりと明確な夢を、軸を持ってみよう。そうすればいつか自分の求めるものにたどり着ける気がする。今はまだわからないし、余裕もなくて苦しんでいるけれど、とりあえずまずは落ち着いて考えてみよう。そうすることで、いつかきっと、すべての答えが出るはずだと信じています。