くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

わくわくしたい

 

一ヶ月ほど前から小説を書くことにハマってます。というよりも、書かねばならぬ、と思って書いてます。

そもそもの発端は朝日新聞「好書好日」の連載、清繭子さんの「小説家になりたい人が、なった人に聞いてみた」です。まだ初々しい新人作家さんたちが、それぞれどんな思いで、どんな作品を書き上げたのかを知ることができて面白かったです。それを読むと、昔絵本作家や小説家になりたかった自分を思い出して、あれっ?今、あんまり自分が望む自分になれていないな、と気づいてしまいました。

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仕事は楽しい。私生活も充実している。結婚だの出産だのは、うーん、興味がなくなってきた。やっぱり仕事。働いて、お金が貰えるのってすごく嬉しい。

でもね、働いて、仕事するのが全てじゃないんだよね。特に事務職になった今、自分がやり遂げたことってなかなか実感がわかない。営業担当者の要望を受けて、法令制度に基づいて事務改善を図ったり、官公庁や政府の法令案などを確認し、話し合いながらもろもろの調整を行なったり、すべて時間がかかるし、パッと結果が出にくい。それまでのモチベ維持が結構大変。自分が目指していたのは、ただ人生の安寧だったのだろうか。毎日暇が勝って、思い悩むことが増えました。

 

そんなときに思いついたのが、小説の公募でした。

 

正直アイデアなんてなんにもないし、出せるような代物なんてないんですけれどね。

でも、振り返ってみると、わたし、就活とか苦じゃなかったなぁ。アドレナリンがどばどば出て、楽しかったなぁ。そう思いました。

なんで苦じゃなかったのか?このブログでも書いた気がするのですが、「選ばれること」が嬉しいんだと思います。

書類選考に通過して、一次面接に通過して、二次面接にも通過して、三次面接も突破し、最終面接で内定をもらう。どこも同じ作業をしていますが、通過の連絡をもらうたびにワクワクしてしまう。あぁ、自分はどんなものにもなれる。なんでもできると。

それを、仕事でも味わいたかったんです。
独身、子なし、実家暮らし(もうすぐ出ていく)。コロナ禍に社会人になり、中途半端に働いているわたし。精神的・物質的に恵まれた生活を、ただ過ごす日々。今の自分でもいい。でもほんのちょっとだけ、ほろ苦い体験をしてみたい。

そう思って小説を書いています。

 

応募はまだしたばかりなので、そもそも結果が出ているものがないのですが。
あれこれ工夫しながらものづくりをするのって楽しいことだと思います。入選しなくても、達成感が凄まじい。

今のところ1ヶ月に1編というペースですが、最高でも原稿用紙70枚しか書けていないし、締切ぎりぎりになって推敲が間に合わないしで形式を整えるのがやっと、という代物ばかりなので、そろそろ自分の納得できる作品を書き上げたいですね。

 

そうそう、前回レビューを書いた「幽玄F」を読んでから、三島由紀夫の「暁の寺」を読み進め、先週やっと読み終わりました。昔断念した三島作品ですが、小説を書くようになってからは、なぜか読めるようになった気がします。

そもそも「豊饒の海」シリーズが読みやすいのかもしれません。でも、それまでできなかったことが、また一つ、減りました。