くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

【読書メモ】「幽玄F」を読んだ

 

 

 

 

文芸誌「文藝」の今年の夏号に掲載されていたのを、つい今週、10月17日になってやっと読んだ。2023年10月20日、「文藝」2023年秋号(冬かも)が発刊されたと同時にこの小説も単行本化されたので、購入済みだ。「文藝」に掲載されていたときの参考文献は数冊程度であったが、単行本にはしっかり3ページにわたって参考文献が掲載されている。
それにしても、電子書籍でしっかり購入していたのに、なぜここまで放置していたのだろう。それに、なぜこのタイミングで読むことにしたのか。やっぱりアレだろうか、在宅勤務のときBGMがわりにΖガンダムを垂れ流していたせいか。

 

この小説のざっくりとしたあらすじを書くとなると、飛行機に、空に夢を見た20世紀ギリギリの年に生まれた易永透という少年が、天才パイロットとして自衛隊に名を馳せたものの、戦闘機に乗れなくなったことで自衛隊を辞め、タイの航空スクール教官(実際は違法観光ガイド)、バングラデシュの民間航空会社で勤務する。目的もないまま東南アジアの世界をふらつきながら、自分の呪いのようにとりつかれたものに挑む。
(あらすじどころか、これが全てちゃうか?)

 

冒頭にΖガンダムがどうたらと書いたけど、読んでいる最中はむしろ三島由紀夫とほんのりジブリの「風立ちぬ」を意識しながら読んでいた。単行本刊行にあたって作者が受けていたインタビューによると、ガンダムジブリも関係なく、この本は三島を題材に描いたものである。戦闘機、というエッセンスが、わたしにそう勘違いさせただけだ。実際のところ、自衛隊に所属し戦闘機パイロットであった時代の描写は全体のざっくり3分の1程度で、そう多くない。

作者はもともと三島由紀夫が好きで、「三島をモチーフに」の依頼を受け、直木賞受賞前の2018年からこの小説を書き続けていたという。三島に対して何を思い、何を表現したくて書いたのかは作者本人が語っていることが全てであり、もはや語ることはないかと思う。そもそもわたしは、「金閣寺」で初めて三島作品を手に取り、ものの見事に脱落しているので、語る資格すらないのだけれど、三島由紀夫が壮絶な最期を遂げていることくらいなら知っている。そこだけ知っていてもなんとなく察する通り、この主人公もとりつかれているかのように、追いかけ続けているのだ、何かを。

 

主人公はわざわざ旅客機のパイロットではなく自衛隊の戦闘機パイロットになることで、ある程度の理想を叶えたはずであるが、そもそも主人公は、三島はおろか真言宗のお寺で住職となっている祖父や、おそらくタイで亡くなったであろう右翼の若者の説く「護国」には興味を示さない。自衛隊を辞めることができたのも、「戦闘機に乗れなくなったから」だけではなく、ただただそういったことに興味がなく、自分が引き寄せられるものがなかったからではないか。彼にとって、民間航空会社はもちろん、自衛隊は心を捧げるような場所ではなかった。
では、主人公がとりつかれているものはなんなのか。


物語の中は仏教の要素がたくさんちりばめられており、あれだけ熱中していた戦闘機よりも、ずっとそばにつかずはなれず仏教の存在がある。そして、主人公は、おそらく一生かけてもうち勝つことができないAIと同じ、たとえば空に住まうGや窒息感のような、巨大な敵である「蛇」に支配されている。空は死の色をしている。
仏教上では、孔雀明王真言であれば蛇(=災いや煩悩)にうち勝つことができるとされるらしい。主人公がほしかったものは、空を悠々支配する「蛇」に抗いうる力であり、その道具として戦闘機があったに過ぎない(この小説内で、戦闘機の存在そのものに意味はちゃんとあるのでまったく無意味とかではない。作者曰く、「金閣寺」の主人公にとっての金閣寺がこれにあたるというので)。

ジャングルで出会った日本人の老僧に教えられた、「幽玄に心をとめよ」という言葉が主人公を捉える。主人公に理性はあったものの、思いは突っ走り、おそらく自衛隊にいたのであればしなかったであろう行動をおこすさまに、待ったをかける。人生は修行みたいなもので、思いをとげるにはそうそううまくいかないことが多い。春が過ぎ、夏が過ぎ、秋になって、冬を迎えても、それを幾度と繰り返し、自分の生きている世界の中で何かが始まり、終わりを迎える、そんな無常を目にしていても、心は幽玄にたもつ。この「幽玄」という意味がけっこう難しいところであるが、芸術的な考え方で言うと、優美に、しかし感覚を研ぎ澄ますさまというのがそれっぽいかな、と個人的に思っている。仏僧でありながら連歌の道をゆく心敬が記すこの言葉は、その先に続くものを示してくれるようであった。

 

この世界に輪廻転生はあるのだろうか。似たような魂が生まれることはなんだかあり得そうな気がする。
バングラデシュで出会った主人公と同じく空に魅せられた少年は、主人公とはちょっと違ってずるがしこくで、よく口の回る、逞しい子供であった。お金をもらったらまず専門書を買い、紙飛行機を飛ばした少年は、きっと主人公とはまったく違う人生を歩むであろう。