くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

現代人の休日読書「古都」

 

現代人はやるべきことが多くて困りますね。

わたしは凡人ですが、とてもじゃないけどバリバリ働く国際人みたいなスーパーマンにはなれません。なんて書き出しで大変申し訳ないけれど、こんな休日にも仕事のこととか趣味のこととか色々考えていてね。

単純に業務上求められていることを自主学習しなければいけないなぁとか、そうでなくてもこれは勉強しておいた方がいいなぁとか、仕事において考えている物事はそういうのがあるけれど。他にも転職だったり今後のキャリア形成のための資格取得の道筋だったりお得なお金の使い方だったりも考えなければいけないわけ。他にも趣味のことで、今この本読みたいとかこんなことにチャレンジしたいとかもある。それをね、週2日の休日にですよ、一気にできると思いますか?思わないよね?

酔っ払いがくだまいてるってこういうことでしょうね。とにかく一杯一杯なんですよ。仕事して、終わって、気遣い仕事疲れさまざまな要因で疲れてバタンキューです。でもそろそろ新入社員が来るじゃない?先輩や上司に不甲斐ない2年目として怒られたり呆れられたりしそうでもう嫌なんですよ。お前は全然成長していないとか甘ったれてるとかなんとか、いやしてるっつーの。甘ったれてないっつーの。そもそも配属嫌なのにちゃんと勉強している方ですよ。えらいよね、わたし。自分の時間、全くないのにね。

 

今月はわけわからん仕事ばかり任されてたので休日はとにかくリラックスモードでした。

川端康成の「古都」読みました。

古都 (新潮文庫)

古都 (新潮文庫)

 

 なんか無性に小説読みたくて、特に近代小説みたいなの読みたくて、hontoとかあさって読むもの探していたんだけど、たどり着いたのこれ。ちなみに風立ちぬとも迷った。

 

純文学って起伏ないよね。前みた「マーメイドインパリ」みたいな、穏やかにストーリーが進行していくだけ。わたしはあまりこういう本読む方じゃないし得意でもないけど、意外にもスイスイ読めちゃいましてびっくり。

一言で言えば、キャラクターにまつわる物語も、京都という舞台も、手がこんでいる本だなって感想でした。主人公は20歳の千重子、舞台は京都。冒頭は春、もみじの古木にすみれの花が2箇所に分かれて咲いたのを「お互いに会ったことがあるのかしら」と考えるところから始まる。その後の夏・秋・冬と、四季を通してこの物語が巡っていく。

ちょっと傾きかけている問屋の娘で、聖書を読み高校に通っていたくらいには教養がある千重子。冒頭から登場する大学生で同じく問屋の息子の真一、院生でその兄の竜助。織屋の息子の秀男。そして千重子の生き別れの姉妹である苗子。冒頭では千重子と真一、そしてその家族くらいが登場していたので、正直ここだけで話が展開してくると思いきや、秀男や竜助がぽんぽんと登場する。そして物語のもう一人の主人公ともいうべき苗子はこの中では比較的遅い登場になる。この中で男性陣は軒並み千重子に淡い想いを寄せるが、もっとも熱心なのは秀男。しかし秀男は問屋の娘である千重子とは身分違いで、親からもくぎをさされる。そのせいなのかなんなのかはわからないけれど、最終的にはそっくりな容姿の苗子に求婚する。

朗らかな春、賑やかな夏にこれら登場人物たちが出会い、寂しい冬に決定的な別れと、物語の終わりを迎える。日本の四季と京都というエッセンスに、時代の移り変わりや人々の儚さを映し出す。川端康成は日本らしさというものをずっとそのままにとどめ置きたかったのでしょうか。京都は随分と歴史の長い都ですが、それでも変化というものが来ます。千重子の問屋も、真一の問屋も、秀男の商売もそう。千重子の父なんて、それをあからさまに嫌がっている描写が多々ありますし、それで投げやりな行動をとっていたり。そして、ずっと地味な着物を着ていた千重子も、セーターを来て出かけるのです。時代とともに失われる伝統や古都の美しさと、いつまでも変わらぬ四季の移ろいや若い人々の哀愁漂う交流の美しさを描いているように思えます。何度か映像化しているみたいだけれど、きちんと映画でやればもんのすごい綺麗な作品が出来上がるんでしょうね。花や草木の描写が多く、なおかつ京都の街並みや着物、資本主義社会に毒されすぎない穏やかな時間の流れを体感できる小説でした。最高でした。

 

冒頭でも書いた通り、いま病んでいるわたしからすればドンピシャの小説でした。

東京という地獄に囚われすぎて、でも東京は地獄ではなくて、ただこの中でもがいて生きていこうとする自分が地獄にわざわざ乗り込んでいる状態、といえば正しいのかな。物質的にも精神的にも豊かに生きていきたいと思えば思うほど、この街は地獄と化し、豊かから程遠い場所になります。しかし、この小説があれば。舞台が違うし時代背景も違うのでなんともあれですが、豊かな気持ちになれそうな気がするのです。難しいけれど、そんな可能性がまだあるような。さびしいといった苗子の心に、よく知りもしないくせに自分の心を重ね合わせて、幻を見ることができると思うのです。