くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

「モダン・ラブ」本とコラム記事の感想

courrier.jp

「モダンラブ」というコラムを知ったのはこのクーリエが9月に投稿した和訳記事。ニューヨークタイムズの人気コラムで、アマゾンプライムでドラマ化されているようだ。

この記事は行方不明となった姉の影を追い求める妹の記事。初めの頃は無料で全て読めた気がするのだけれど、いつの間にか有料記事になっていてわたしはもう読めない。ただブログに書くという、このためだけに会員登録するのもちょっぴり面倒なので、読んだ記憶を思い出しつつブログを書く。

 

www.nytimes.com

↑ちなみに原文。

5年も前に行方不明になった姉を、筆者である妹はFacebookと自らのスマートフォンを通じていつまでも追い求めている。姉にメッセージを送り、電話をかけ、Facebookを眺めている。姉の友人たちも、彼女のFacebookページに「会いたい」「愛している」と書き込んでいる。

あるとき、いつものように姉にメッセージを送ると、「誰?」と返事が返ってくる。電話をかけ、その姉の電話番号が、メッセージの相手が、自分の姉ではないことを確認してしまう。筆者はそこで、姉がもうすでに失われて存在しない人間であると気づいてしまう。

姉のFacebookページは、5年もの時を経て人が少なくなってきた。年月の流れもそうだし、Facebookに人がいなくなってきた。Facebookは姉のように、筆者を抱きしめてはくれない。しかし、姉の痕跡は確かに残してくれる。それだけでいいと、筆者は噛み締める。

 

 

要約するとこんな感じのエッセイ。

他の「モダンラブ」に掲載されるコラムに比べると、性愛だとかなんとかの愛とはちょっと異なり、恋しい姉を追い求める妹の穏やかで激しい愛情。少ししょっぱい悲しさがにじむ、湿ったエッセイ。アメリカ人ってこんな文章書くのか、とちょっとびっくりした。偏見で申し訳ないけど。

 

このエッセイに一目惚れして、クーリエの「モダンラブ」翻訳記事はちょこちょこ目を通している。それで、今回偶然にも本を見つけて買ってみた。

電子書籍がないので仕方なく本屋に寄って、すぐ近くのカフェで1時間ぐらい、ココアを啜りながら読んだ。

 

 たくさんの小さな物語が20個くらいギュッ!と詰まっているので、個別にどれが良かったとかは言えないのだけど。

強気な女性の勝ち気な気持ち、「知って欲しい」という切実な願い、ユーモア混じりのおかしなお話。全てがとても魅力的なエッセイになっている。たまに「あぁ、わたしもそう!それで全くうまく行かないことが多い…」なんて共感したり、「その感覚ちっともわからんわ!」と首を傾げたり、読んでいるとちょっと色々考えてしまう。考え方って本当に人それぞれだな、なんて感じてしまう。そんな今を生きる人間たちの、極めて現代的なエッセイだから、自由でのびのびしていてとても素敵だ。どのような愛の形でも、ありきたりな愛の形でも、その人それぞれに物語性がありとてもワクワクさせられる。

 

簡素なブログ記事になりましたが、さらりと読めるのでおすすめです。そしてたまにはクーリエの「モダンラブ」翻訳記事を読むととても楽しいかも。