くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

わたしは考える

 

わたし、実はお酒が苦手。あと煙草もしない。外に遊びに行くこともそんなにない。夜遊びもしない。

こんなんだから飲み会も当然いかない。ゼミでもクラスでも飲み会はあるし、夜に出かけることもたくさんある。でも、わたしはいつでも飲み会には参加せず、どうしても、という用事が何もなければ17時前には帰宅している。

 

典型的陰キャぼっちコミュ障のそれだと思う。「遊び」を知らない「子ども」であるとも言う。親しくはなくとも話せる人がいるのでそこまで寂しくはない。寂しい時もあるけど、それはそれで、ね。でもね、どうしても参加したくないんだ、飲み会というものに。そしてお酒も飲みたくないし、喫煙も興味がなくはないが嫌だ。夜遊びもそこまで興味ない。

なのでちょちょいと理由でも書いて、適当に供養しておきますかね。どうせ、誰かに言うこともないんです。独り言ぐらいさせてぇな。

 

お酒を飲まない理由

飲めなくはない、けれど飲まない。飲み会がある、けれど行かない。つまりそこには大した理由があるということだ。

わたしはお酒には弱くないほうだ。まぁ、そんな酔っぱらうほど飲んだ経験もないので大きくは言えないのだけれど。遺伝的に強いほうには分類されると思う。北国のアルコール度数の高いお酒を飲まされたことがあるけれど、それでもさほど酔っぱらうことがなかった。

そんなわたしだけれど、お酒はどちらかといえば嫌いだと思っている。

わからないのだけれど、なぜお酒が好きなんだろう??味がおいしいから、というのはわかるような気がする。ビールは単体で飲むには苦いけれど、お肉と飲むとまぁまぁおいしいし、それはワインも同様。でも、お肉にはもっと合う飲み物あるじゃない⁇ソフトドリンクでも充分美味しいじゃない⁇コーラとか。あのシュワシュワした感じはビールと通じるし。だから、別にビールやワインじゃなくてもいい。コーラで充分だとわたしは思う。ここまでは個人の趣味嗜好によると思う。

でも、無理にのむ人っているよね。程よく楽しんで、たまにお水を飲んで、なら筋は通っている。自分の無理ない程度に、楽しめる程度に飲んでいる人はまぁいい。しかし世の中には無理にお酒を飲み、ゲロゲロ吐いている人もいるし、二日酔いになる人もいるし、道端で寝っ転がったり、救急車で運ばれるほど飲んだくれたり、そんなだらしのない人々がたくさんいる。そんな人々をたくさん見てきた。自分の限界を知らずに飲むなんてなんて自己管理のできていない人なんだろうと思わずにいられない。普通に考えてわかるではないか。これ以上飲んだらマズいな、とか。付き合いだったとしても限度があるし、対処もできるだろうに。それが全くできていないなんて、本当にだらしない人なんだろう。

つまり厳密にいえば、わたしは「お酒にのまれる人間が嫌い」である。そしてそんな人間たちは総じてお酒を好んで飲むからして、普通にお酒を飲む人も、お酒そのものも苦手だと思う。

そもそもお酒を飲む意義というものに「ふわふわして気分が良くなるから」というものが挙げられる時点でおかしいと感じるのはわたしだけか。それでコミュニケーションが円滑になるとか正気で言っているんだろうか。一時の快楽に身を任せ、完全に自分を失っているだけだと思うんだけど。それが本当の自分でもないだろうに。お酒を飲んで、ちょっと気が大きくなった阿呆にしか見えないのだけど。そうやって自分自身というものを無理に失う行為は、たとえお酒にのまれていようがいなかろうが、現実の自分から逃れたいという心理の表れであり、自傷行為のようにも感じてしまう。意識を失うこと、自分自身を無理やり開放することなんて自分を傷つけているのと同然だとわたしは考える。自分をしっかり持ってこその人間だと思う。それができないなんて、わたしからすれば屑だ。

攻撃的なことを書いてしまった。しかし、わたしはもう飲み会というものから逃れられる年を過ぎたと思う。大学の飲みにケーションは不要だった。たった4年間しか付き合うことがないであろう友人しかいなかったのだから、当然。わたしにせよ彼らにせよ、付き合い方も性格も考え方も違った。互いにしゃべるし、程よく仲良くする。でもそこまで深く付き合わなかった。

けれど今度は違うんだろう。就職先は一生かもしれない。わたしは転職する可能性を捨てていないけれど、出世してずっと会社に居残りするとしたら、まずはその会社に染まることが求められるだろう。いくら自由とはいえ、そこに付き合いがあることは否定できない。飲み会に行くこと、お酒を飲むことが直接的原因となってコミュニケーションが円滑になるとは到底思わないけれど、間接的に作用することはあるのだろう。わたしは今後、ほどよい付き合いを求められるのだ。その覚悟は今からしている。

 

喫煙をしない理由

興味はなくはないと書いた。でもする必要はなかった。

ニコチン中毒が怖いというのはある。ただでさえ貯金に苦労しているのに、これ以上出費したくないというのもある。あと早死にするのは構わないけれど、肺癌は嫌だ。

あとはそう……顔に出るからだろうか。肌が汚い、歯が不潔、そんなことをよく聞く。肌も歯も大切なものだ。特にわたしは若い。若いからこそ、容姿は重要だ。そして年をとっても、肌と歯を美しく保つことで「年相応の美人」になれる可能性を秘めたままでいられる。必ずそうなるとは限らないが。

とにもかくにも容姿の劣化の原因になるのはいただけない。歯茎も変色するし、不健康そうに見えるのは不美人の証。長期にわたる喫煙はその原因だろう。飲酒もかなり容姿を損なうようだけれど。そんなものに手を出したくないのは当然。わたしはいつまでも美しくなりたいと思うのだから。

 

夜遊びをしない理由

これは特に大した理由がなくて、わたしが度を越した「都会の夜」嫌いだからってだけ。

ネオンとか夜景とか、正直そこまで美しくない。昔は憧れた。でも飽きるし、そもそも綺麗じゃない。田舎の星空のほうがずっと価値がある。空の変わり具合をゆったり眺めることは大好きだ。でもそれは都会ではできない。都会はいつまでも欲望の火を地面にともし続けているだけ。

それに、人がたくさんいるのは嫌なのだ。都会の人って、よくもまぁあんな環境下で楽しく過ごせるよな、と思う。夜が近づいたら帰りたくなるし、ゆっくり体を休めたくなる。翌日もまた何かしら予定があるし、翌日も最高のコンディションで迎えたいと思うと、早く帰宅することに越したことはない。無駄ですよね、そんな大したところでもない都会ですす汚れながら遊ぶなんて。着ている服が汚れるし臭いつくし良いところないです、夜遅くまで都会で遊んでいてもね。

 

 

たくさん書いてしまいました。最後にこれだけ。

お酒は現実逃避がしたい人が飲むものです。それと、現実逃避したい人ってバカなだけ。とくに、若いうちはね。わたしはそう思ってまーす。