くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

アニメ感想ひといき

 

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PSYCHO-PASS1期を見てます

今ちょうどアマプラで1期と3期が無料です。3期っちゅうか、実質2期のやつね。

このアニメ、1期は2012年ってまじですか??わたしまだ中学生とかそんぐらいですよ。東日本大震災から1年後って、かなり昔だよね。当時はまだアニメも漫画もボカロも食わず嫌いしていたころです。若いねぇ。部活命だったな。

今14話ぐらいまで見てるんですけど、まぁ勉強中に見ているのでまともに頭に入るわけもなく。それでも山場を越えて、常守監視官が記憶を引き出し、そしてその直後に事件が起こり……というところまでは把握しています。

それでなぜそのタイミングでブログを書いたかっていうと、理由らしい理由も特になく、衝動的に、です。毎度のことまとまりがなく、何が言いたいのかわからないブログですが、途中までアニメを観た中でのメモ程度にでも思ってください。伝えたいと思っていることや感想は特にないので。

あと、目次機能試したいのでつけます。

 

 

 

 

 

14話までを通して

このアニメを観てすぐに抱き、それ以来ずっと心の中で漂って鑑賞の邪魔をしていた気持ちがありました。それは「こんなディストピアがあり得るはずもない」という気持ちです。職業選択の自由はなく、その適性を機械が判断するし、サイコパスとかいうなにやら本当に性格なのかどうかわからないもので潜在犯をあぶりだす。現在の日本でも世界中でもまずありえないものだし、仮にやろうとしたら大反対されるものです。特に現代日本で「あの人犯罪起こしそうだから逮捕して」なんて認められないわけであり、権力が他者の自由を奪うような措置を講ずるには相応の事実が求められる。形式上ではあるので実務ではどうかまでは認識できませんが、それほどまでに他人の自由を奪わないために配慮がなされている社会が、どうしてこうも様変わりしてしまうのかというところに大きな疑問を持ちました。百科事典などの記述を見ればなんとなく理解はできましたけれど。

まぁそんなもやもやを抱いたせいでしょう。すでに確立されたこのディストピアで、その行為や思想が本当に正しいのか葛藤するお話も好きですが、ディストピアが構築される過程をじっくり見たいし、知りたいな、なんて思いました。メディアミクスがたくさんある作品ですし、この作品でなくてもディストピア小説や映画はたくさんあると思うのですでに存在するかもしれませんが、法学部生としてはそんな自由が奪われゆく過程をアニメで見てみたいなんて思ってしまったのです。法律の歴史、民主主義や自由主義の歴史ってわりかし長くなってきましたし、現状あたりまえにあるものです。ならばなぜそれが一瞬で瓦解してしまったのかはもちろんのこと、それまで自由を享受してきた人々は自由のはく奪をどう受け入れたのでしょうか。このアニメを観てそんな感想を抱いたおかげで、今、それがわたしにとって最も気になるテーマになりました。あまり「こんな作品が見たい」とは自分でも意識してこなかったので、なんだか新しい発見です。嬉しいから、ディストピア作品漁ってみようかな。

 

思考しない人の発生と白い人

名前を覚えられないので「槙島さん」といいますが。あの人本当に理解不能なんですよね。王陵さんの答えはそんなに気に入らなかったものかな、なんて。確かに父の後追いばかりでオリジナリティのない作品だったかもしれないけど。彼女の理由は父に比べてくだらないものだったかもしれないけど。だからって、捨てるような真似しちゃうのかな。あぁいう読めないキャラが本当に憎い(笑)。だって、理解不能すぎて、共感したり感動したりできないから。悪いことではないけれど、なかなか受け入れがたい人すぎてね。

でも船原ゆきちゃんを人質にし、常守監視官に本当の銃をあげて投げかけた問いから、わたしの理解が間違っているかもしれないけど、少しは読めた気がします。

槙島が価値を置く存在はシビュラに頼りきりになり意思を捨てるような人間ではなく、自ら考える人間。このアニメの世界の中では、犯罪すらも人間が決めたものではない。何が良く、何が悪いかも人は判断できない。そんな社会にいる常守監視官は自分自身の中で善悪の区別がついているように見えて、実はそこまではっきりとついていないのがよくわかりました。相手を殺さなければ親友が殺される状況に至っても使い物にならないドミネーターを頼り、銃のくだりでシビュラシステムが悪だと判断しなかったものに躊躇を見せた。これは、何よりも重い命のやり取りなのに、本気で立ち向かえなかったということですよね。

ここからはわたしの感想や考えだけれど、常守監視官は常にドミネーターを扱って潜在犯を処罰しています。しかし、ドミネーターは一定の犯罪係数を超えた時点で人の命を奪う道具に早変わりする危険な道具。そしてそれは、命中すれば簡単に命を奪ったり、人を害したりできる銃と本質的に変わらないものであるはずです。けれど、それを扱う常守監視官が全くそういった問題を意識できていないことに少々驚きました。これも、「自分で考える必要がない」管理社会で生きる弊害でしょうね。

 

平和が崩れた後と安寧について

その後の事件で衝撃的だったのは、スキャンに引っかからない犯罪がでてきたこと、そしてそんな中で犯罪に出くわした人々の反応。

14話で女性が襲われる事件があります。犯人は凶器を女性の前に持ち出して見せましたが、女性は逃げもせずわけがわからないという風でした。その後も犯人が女性を殴り続けても、周囲の人は逃げるわけでもパニックになるわけでも通報するわけでもなく、眺めるだけ。女性は悲鳴も出しません。ろくに考えることを求められず、それに従って思考してこなかった人間って怖いね。もっと離れたところから客観的に事件を眺めればすぐにそれがまずいことだと判るけれど、まさかすぐそばにいて、スキャンで常にチェックされて安全認定されている人間が悪人だなんて誰も思うまいし。

そうそう、宜野座監視官がエラそうな人と話していたこと、なんとなく「ふーんそうなんだ」って思いました。確かシステムを維持すること、システムが役に立っていると信じ込ませることが大事だって、金言だね。役に立つかどうかわからないけれど、心のうちにしまっておこう。社会が安定するために思い込みが大事だって。人間の心の安寧にも思い込みって大事だと思うけれど、それと同じだと思います。