くだまきあーと

擬似よっぱらいOLがくだをまく、余生の日記。

映画ぐちゃぐちゃレポ


先月のお話なのですが、見て来ちゃいました。映画「ジュラシックワールド/炎の王国」。
例のように自分が書きたいことを自分にだけわかるようにまとめたぐちゃぐちゃレポート。後半疲れてまじであかん。推敲は時間あるときに(やらないぱてぃーん)。ブログは大抵一発で書いているので本当になに書いてあるかわからなくなるの、ゆるして。

ちなみに「ジュラシックパーク」シリーズは一切触れていません。「ジュラシックワールド」は序盤のみ観ましたが、忙しさにかまけてほぼ観ていません。しかしそんなわたしでもなんとなく観て理解はできるお話だったかな、と思います。



ジュラシックパーク」のシリーズはこれで5作目だそうで。わたしがチラ見したやつは前作にあたります。
わたしのうろ覚えの記憶によると、たくさんの恐竜は島に集められ、そこで動物園みたいに飼育されている感じだったはず。その島はテーマパーク化されていました。
もうここからの流れわかんないので軽くまとめると、恐竜たちが人間のスペースまで出て行ってしまい、島はどうも廃棄同然の扱いになったとみられる。
ジュラシックワールド/炎の王国」の冒頭でなにをしてんのかわたしはさっぱりだったんですけど、あれは前作湖に沈んだ「インドミナス・レックス」とかいう種の恐竜の牙を回収しているところだったんですね。一応細かいところに前作要素があるので予習すべきだった。

主人公はオーウェンとクレア。クレアはわたしもよく知っている。オーウェンは「ラプトル」という種(でいいのか??)の調教をしていた人物。クレアはもともとあったテーマパークを管理していたが、パーク崩壊後は恐竜を保護する活動に勤しんでいる。チラ見したときは「あっこいつ仕事人間だな」ってすぐさまわかるような人物だったのだけど、この映画では柔らかめだと思う(気が強いけど)。


ここからは、映画の要所要所で「好き」と思ったところをあげて書いていきます。ネタバレする。


まずは序盤のエピソード。
潜水艦でインドミナス・レックスの牙を採取することに成功した傭兵たち。地上からさかんに「門をしめるぞ‼‼応答しろ‼‼」と叫んでいた男性がおりました。後ろに恐竜がいることに気づかず、逃げるのに遅れてしまう。序盤から手に汗握る展開です。
仲間たちはヘリでスタンバイしつつ、「しむらー、うしろうしろ‼‼」って感じで男性に注意を促す(実際に志村~後ろ後ろって感じでした)。やっと気づいた男性、めちゃくちゃに逃げる。ヘリから梯子をたらされ、何とかつかむ。噛みつかれそうになりながら、ヘリは振り回されながら、そんなこんなで仲間に見捨てられそうになりながら男性は九死に一生を得たのだけど。海の中に潜んでいた「モササウルス」によって食われる。せっかく生還したのに……。たしかめっちゃ「YES‼‼」って顔してたよね。上げて落とすスタイルすっごい怖かった……序盤からおしっこ漏れそうだった。
このモササウルス、Wikiで見て気づいたんだけど……終盤海に現れサーフィンを楽しむ人々を飲み込んだあの黒い影の正体だそうで。パークの檻から抜け出してしまったようです。周辺諸国ではもう海水浴できない恐怖。でもあの図体なら浅瀬なら大丈夫かも??

次にこの物語でもたくさん登場する「ラプトル」の雌ブルーちゃん。前作から名前付きの恐竜さん。
オーウェンが調教したラプトル。前作では4姉妹だったのが、この子しか生還しなかった模様。うすうす劇中でも勘づいていたよ。でもきついものがあるよね。いくら映画、しかもその中の恐竜とはいえ、「人類の次に賢い」とされるブルーの仲間が死んでしまったとか……少なくともわたし、幼いころから一緒の兄弟がそんな目に合っているの見たら辛すぎて泣いてしまう。まぁ前作観てないに等しいから想像ですけど。
ブルーは最初、オーウェンも敵のように見ていた感じありました。でもジアの手当てで、ジアたちを助けてくれる。義理堅いなぁ。オーウェンと再会した後、ひとりで走って行ってしまいました。独立性高すぎ。まぁ子供という大きさでもないからね。
ブルーは人間じゃないから、その行動でしか感情をはかれません。わたしはブルーの感情の機微をよくくみ取れなかった。誰か教えてほしい。どうしてオーウェンの手を受け入れたのちに走って行ってしまったのかしら??人間と同じく自由に生きようとするその姿勢を表したかったのだろうか。わたしは肝心なところが読めなくて、だめですね。
ブルーちゃん、ジアたちを助けた後、爆発することを見越したのかめちゃくちゃに足をバタバタさせて走って逃げるんです。可愛かった。うちの猫がビビったとき逃げる様子を思い出しました。賢いにもほどがあるのでは??

そして、島に残されてしまったある一体の恐竜。
なんとなく「のび太の恐竜」の首長竜を思い出しましたが、全然違ったようだ。「ブラキオサウルス」というそうです。
主人公たちが今作島に足を踏み入れてから一番初めに出会った恐竜でした。噴火したのち、11種の恐竜と傭兵、主人公たちを乗せた船が波止場から出ていってしまったところに現れます。助かりたいために、きっと船に乗せてもらおうとしたのでしょうが、無残にも噴火による火砕流に巻かれてしまいました。その姿は始めくっきり見えていたものの、徐々にシルエットになって、そして最後にはシルエットすら映らなくなって……。クレアは目を見開いていました。わたしもつらかった。
火山が噴火したらそりゃああんなところに住んでいる以上助からないわけですけど。それに船に乗れたとしてもオークション行きなわけですけど。それでも「生きよう」と思って、波止場まで来たわけです。人間が乗っている船に乗れれば、自分も生きてゆけるとわかっていた。その希望を断たれた直後に死んでゆく、こちらをじっと見つめて死んでゆくその姿を、仕方ないとはいえ見捨てるしかできないのはつらい。
あたりまえですが、恐竜だって生きてゆくために必死なのです。人間からしたら恐怖でしかないけれど、彼らだって生きている、実際に命があることを決して忘れてはいけないと考えさせられました。

最後に、メイジーちゃんについて。
メイジーちゃんは序盤とってもいたずらっ子な印象を受けますが、意外と賢くて行動も速い。しかしそのメイジーちゃんは、祖父が娘をよみがえらせるために作られたクローン人間。彼女は「母親に似ている」ことを気にしているみたいで、祖父のところに行くと「ねぇわたしお母さんに似てる」と聞いてみたり。
彼女自身はクローン人間であることを何ら知らされず育った模様。しかしどうもやけくそかなんかになったミルズが挑発するかのように「そいつはクローン人間だ」とばらしてしまいます。そんな彼女が、シアン化水素で満たされた檻を徘徊する恐竜たちを見下ろして、重要な決断を下すのでした。
もともと恐竜を保護したいと考えるクレアは、「恐竜たちを助けなきゃ」という一心で恐竜の檻を開けてゆきました。しかしこの地下そのもののカギを開けてしまうと、どうなるかなんて誰にだって予想がつきます。近くの町まで数キロという屋敷。肉食恐竜だっているのに。
クレアはボタンを押せませんでした。それはやはり彼らは人類の敵に等しい存在であるからです。街に出したら必ず人的被害が出てしまう。それは人間が人間として生きるにあたって、必ず避けなければならない事態です。仮に人間に飼育されている犬でも、動物園にいるクマやライオンでも、人間を傷つけたら処分されることがあります。彼らが何か思うことがあってこちらを襲ったとしても、わたしたち人間だって思うことがあって防衛しなければなりません。例えば巨大な野犬にかみ殺されそうになったら、攻撃を加えて死を回避する行動になんら間違いはないでしょう。これと同じく、事前に危険を回避するために殺すということも、ある程度許容しなければなりません。力がない、牙もないということで圧倒的に弱い立場になる人間は、事前に対抗する手立てを整えておかないと死ぬだけなので。
クレアの決断はそれと同じです。いくら恐竜が可愛かろうと、恐竜は人間に明らかに害を与える存在。簡単に街にはなってはいけない。街には恐竜の前に無力な人間がたくさんいます。その人々を助けるために、恐竜には犠牲になってもらうしかない。クレアの決断は正しいものでした。
しかし、メイジーはそんな決断をしません。彼女はクローン人間。そしてこの恐竜たちもクローン。自分自身を人間としてとらえるのではなく、生命としてとらえました。そしてこの恐竜たちも生命としてとらえ、「わたしたちも生きている生命」として生かそうとしました。彼女にとって自分がクローンであったことはショックだったでしょうね。でも自分たちだって生きているのだから、その権利を奪われていいはずがない。彼女は人間でもクローンであるがゆえに、けして人間の味方になるわけではない。


最後、イアン・マルコムによって「新しい時代にようこそ」のような皮肉な宣言がなされます。メイジーが恐竜を放ったことで、人間界にも恐竜が進出してしまうのです。新しい時代、とは恐竜と人間が共に生きていく時代。たしかこの世界の恐竜ってクローンによって再生された、人の手によるものなんですよね。マルコムはそういう研究に否定的なようなので、そういう研究を進めてしまった人間に対して言っているのでしょう。人間の手で生み出されてしまった恐竜、そしてメイジー。自ら望んでそうなったわけではない彼らのような存在は、人間のピュアで貪欲な好奇心から生まれたもの。生命というものは尊いとはいかないまでも、あくまで自然の手に任せるべきであって、人が操って良いものではありません。
劇中のメイジーという少女は、亡くなった娘をよみがえらせたいという父親の罪深い願いから生まれた少女です。自分が母親のクローンであると知った彼女は、自身を作った祖父についてどう思ったのでしょうね。祖父は自分という存在が見えていなかった、彼が見ているのは母であるオリジナルのみ、自分は祖父の埋まらない気持ちを充たすためにすぎない、なんて考えちゃうんじゃないかなぁ。
恐竜たちだって、きっともとは、くだらない人間の好奇心から生まれたものなのではないですか。彼らにだって生命はあるのに、波止場まで来たあの恐竜のように「生きたい」という気持ちだってあるのに、それを台無しにするかのように見殺しにし、オークションで売りさばき、兵器に等しくなるよう改良した新たな恐竜を作り出す。見殺しにするなら初めから作らなければよかったのに。そしてそれが一度成功すると、お金になるから、強いからといって新たな悲劇を呼び起こしてしまう。人間とは罪深い。
マルコムはこうした科学の発展に人間は対応するべきだ、恐竜と人間は共存するべきだと唱えました。できるはずもないからこそ言ったセリフでしょうが。
ただ娯楽のために生み出されたものですが、彼らには生命があるのです。言葉の通じる人間ですら思い通りにならないのに、人間と対峙する彼らの手綱をとれるなど思い描くことすらできないはず。だって彼らは生きているのだから。人間とけして分かり合うことはできないながらも、命あるものを、生きようとするものを、人間はこれからどう扱っていくのでしょうね。